上記とは?/ マイワン
[ 60] 上記 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%A8%98
|
『上記』(うえつふみ)は、いわゆる古史古伝と呼ばれる文書の一つで、大和朝廷以前のウガヤフキアエズ王朝を含む古代の歴史などが神代文字で書かれている偽書とされる。 『上記』自身の序文によると、貞応2年(1223年)に源頼朝の落胤という話も伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂したとされている。 内容は、ウガヤフキアエズ王朝に始まる神武天皇以前の歴史や、天文、暦学、医学、農業・漁業・冶金等の産業技術、民話、民俗等についての記事を含む博物誌的なものである。 たとえば、『上記』によると神武天皇はウガヤフキアエズ王朝の第78代王のウガヤ73世の子であり、中国に農業や文字を伝えたのは日本であり、日本では精密な独自の太陽暦があったことなどが書かれている。 現存する『上記』の写本には、宗像本系と大友本系との2つの系列がある。(1)宗像本とは豊後国大野郡土師村(現在の大分県豊後大野市大野町)の宗像家に伝えられていた古文書を、国学者幸松葉枝尺(さちまつ はえさか)が筆写したものである。また、(2)大友本とは、豊後国臼杵郡福良村(現在の大分県臼杵市福良)の旧家大友家に伝わっていた写本である。 19世紀初頭、宗像神社の宮司の一族を称する大野郡土師村の庄屋宗像良蔵が、「神のふみ」として伝わる特殊仮名で書かれた古文書の鑑定を、岡藩を訪れていた京都吉田神学館の玉田永教に依頼したが、偽書と断じられた。 1874年(明治7年)、幸松は写本の複写本1部を大分県令を通じて明治政府に献本。教部省の意向で根本真苗・吉良義風が共同で『上記』の翻訳作業を行い、1875年(明治8年)に『上記』原文および『上記直訳』41冊発表すると、続けざまに、井上頼圀が『上津文辨義』、後藤碩田が『上記考』を発表した。その後も田近陽一郎が『高千穂古文字伝』(1876年)を著すなど一部の研究者はにわかに活気づいたが、教部省主導ということからも伺えるように軍人や政治家の国粋主義宣伝の材料にされてしまい、また原本が学会ではまったく認知されていない神代文字で書かれていたことから一般の学会ではほとんど無視された。 また、内務省も幸松の献本を筆写し、『うへ津婦美』41冊を完成させた。このうち3冊は別に筆写され『上記副本』として残された。 『上記』ではサンカの伝承との関係がしばしば指摘され、時にはサンカ伝承の盗作であると言われることもある。 その理由は『上記』で使われてる豊国文字がサンカ文字とよく似ていることと、下総のサンカの伝承に「大友能直がサンカを1600人も殺し、昔から伝わっていた書物を奪った」というものがあることによる。 ただし、この伝承もサンカ文字もともに三角寛以外に紹介した者がおらず学術的な検証はできていない。 また、三角寛は『上記』の発見場所と同じ大分県出身であり、『上記』には三角寛だけが紹介したサンカ文字とよく似ている文字が使用されている。加えて、三角は薬草について造詣が深かったといわれているが、三角が紹介している薬草は『上記』に登場する薬草とかなりの部分で一致するなど、三角一人を介して『上記』とサンカが結合する構造になっている。 |
マイワンのサイトです。