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[ 338] 風に当たるだけで「痛い」 : 医療ルネサンス : 医療 : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
[引用サイト]  http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20070410ik01.htm

初めは10歳のころ。左足親指の付け根が痛んだ。歩くと涙ぐむほど痛み、整形外科で「関節炎」と言われた。痛み止めの注射でも痛みは引かず、体育の授業はほとんど見学した。
痛みの範囲は広がり、16歳の時には両足のひざから下が痛くなった。病名は、はっきりしない。大学生のころ、両腕も痛くなった。
大学院を修了、大手書店や損害保険会社で働いた。「痛いのが当たり前の状態。痛みを忘れようと、朝早くから夜遅くまで働きました」。損保会社では営業職で、成績は常にトップクラスだった。
7年前のある週末、自宅で全身を激痛に襲われ、失神した。月曜になっても意識が戻らず、無断欠勤を心配した会社の同僚が訪ねてきて、倒れているのを見つけた。救急車で運ばれ、8か月入院。会社は辞めた。
この時、初めて「線維筋痛症かもしれない」と言われた。この疾患に詳しい篠ノ井総合病院(長野市)リウマチ膠原(こうげん)病センター・リウマチ科部長の浦野房三(ふさぞう)さんにメールで相談すると、近くの病院を紹介され、2002年、線維筋痛症と診断された。「やっと病名がわかって、ほっとしました」と振り返る。
痛みについて、橋本さんは「体の中をガラスの破片が駆け巡る感じ」と表現する。呼吸すると胸が痛み、食べ物をのみ込むと、のどが痛い。テレビの音も体に響き、外出して風に当たるだけでも痛い。人ごみで人とぶつかると、新たな痛みが加わる。これまで鎮痛薬や抗うつ薬など延べ200種類近くの薬を飲んだが、痛みは今も治まらない。
厚生労働省研究班の調査によると、患者は日本に200万人いるとされる。女性に多く、出産や事故、ストレスなどをきっかけに発症することが多いとみられている。
痛みのほか、だるさや疲労感、うつ状態、不眠などの症状が出る人もいる。脊椎(せきつい)や手足の関節などが痛む脊椎関節炎など、ほかの疾患を併せ持っている例が多い。研究班メンバーでもある浦野さんは「3分の1程度の人が脊椎関節炎を併発している」と話す。
今年2月、線維筋痛症だった女性アナウンサーが飛び降り自殺し、病名が知られるようになった。線維筋痛症の治療について探る。
線維筋痛症 体のあちこちの筋肉や関節に3か月以上、痛みが続く。痛みの原因や発症の仕組みは分かっていない。米国リウマチ学会の診断基準では、全身に18か所ある「圧痛点」を、指で約4キロ・グラム(ツメが白くなる程度)の強さで押し、11か所以上が痛む場合、線維筋痛症と診断する。
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[ 339] 一次情報に当たることはいかに重要か(永田寿康議員メール問題) [絵文録ことのは]2006/02/27
[引用サイト]  http://kotonoha.main.jp/2006/02/27literacy.html

このブログでとにかく重要視しているのが「一次情報に当たること」である。ネット上であれ文献であれ、孫引きではなく元の情報に当たる。誰かから間接的に聞いた話は、それだけ信憑性が落ちる。だから「誰から聞いたか」を情報として添えなければならない。聴いたもとの情報源を明記できない場合は、信用されないことを覚悟しなければならない。
永田議員が自民党につきつけたメールは偽造だったわけだが、これも最初から「一次情報に当たる」ことを心がけていれば防げた話だ。データの出所、データ自体の確実さの検証をした上で確信が持てたら公開してもいいが、そうでないものにどうやって確信を持てるのか、という話である。
自分自身が事実として受け入れられる情報、伝聞情報、だれかの推測や意見(あるいは思いこみ)をきちんと分けて考えることができるようにならなければ、情報に振り回され、誤った情報を信じてしまうことにもなるだろう。
「(メールの真偽が)100%の確証が得られていないにもかかわらず、あのような断定的な発言をした」「党が持っているのはコピーだけで、送受信者の解析は無理だった」(永田議員、28日にも謝罪の記者会見…メール問題 : 読売新聞)
大体、黒塗りされたメールを本物だと思うこと自体が根本的におかしい。よほど民主党内に焦りがあったのか(いや、焦りがあるときほど確実な武器をもって攻めねばならないのだが)、こういうものに飛びつくことは、長期的視野も何もない浅慮としか言いようがないだろう。
党調査チームは永田氏の入手当初から黒塗りされていたというヘッダーの送受信者欄の解明に取り組んだ結果、いずれも「フリー記者」のメールアドレスが記されていたことが分かったという。(送受信ともフリー記者 民主メール問題:中国新聞)
他の人はどうか知らないが、実は、昨年の民主党ブロガー懇親会に出た後、民主党の議員さんとはメール・電話含めまったく交流がない状況である(大塚議員のメールマガジンが送られてきているだけだ)。で、もし、あのとき出席していた「ブロガー」の誰かが事前にこのメールの解析あるいは評価を依頼されていたならば、誰もが即座に「こんなもの、使えません」と断定していたに違いない。自分であれば、送受信欄が黒塗りなのは論外、ヘッダーのReceivedやIPその他をすべてチェックし、さらに他のライブドア社内のメールと比較検証するまでは、本物の可能性があるとさえも口にしない。なぜそこできちんと専門家に聞かないのか。
この偽造メールを作った西澤孝氏は論外として、こういう情報を鵜呑みにし、確証が得られない段階で公開してしまった永田議員というのは、議員としての資格以前に、リテラシーが完全に欠如しているのだと思う。
さて、情報を鵜呑みにするという点では永田議員を笑えない人は多いはずである。たとえば「きっこの日記」に書いてあったというだけで信じてしまう人は、永田議員以下だと反省した方がいい(この件に関しては、すでに「きっこの日記は床屋政談」と明記しておいたので、そちらを読んでもらえばいい)。きっこの日記には一次情報は存在しない。どこかの記者やマスコミ関係者から聞いた情報を「きっこ」を名乗る人物が書いているわけで、元情報→情報提供者→きっこという三次情報であることに注意しなければならない。
きっこが情報提供者の情報を鵜呑みにしやすいこと、その前の情報(一次情報)に当たって検証し直すことがないことは、すぐにわかる事実である。それをわかって読む分には、おもしろいゴシップサイトとして活用できるが、これをニュースだとでも思って読んでいればひどい目に遭うだろう。
さて、ではどうすれば情報を見極めることができるかということなのだが、まず最初に身につけていただきたいと思うのは、必ず「だれそれ曰く」という言葉を頭につけて情報を分類することである。
いいですか、これを「永田議員が記者会見する」とだけ認識していると、メディアリテラシーは育たない。つまり、「だれそれ曰く」をとばしてしまうと、伝聞が事実に化けてしまうのである。この二つの表現の違いがわからない人は、わかるまでじっくり考えるか、以下を読むのをあきらめてほしい。
これは直接本人に聴いた場合。もちろんその人がウソを言っている可能性もあるわけだが、「その人がそう言った」ということは(自分が聞き間違えていない限り)事実として断定していいわけである(メディアの場合は必ず編集が入るので、テレビの生放送で言っているのを見たという場合でなければ、やはり伝聞として扱った方がいい)。
もちろん、自分自身の体験については(少なくとも自分の認識としては)事実として扱っていいのは言うまでもない。
自分自身の体験(自分の認識としては事実。もちろん、実体験だからといってそれにこだわりすぎると広い事実が見えなくなることもあるので注意)
自分自身が直接聞いたこと(相手がそう言ったことは明白な事実。言った内容については事実かどうかわからない)
マスメディア、ウェブサイトを含む伝聞情報(あくまでもそのように報じられた、そのようにサイトに載っていたというのは事実。報じられた内容については事実かどうかわからない)
マスメディア、ウェブサイトでの書き手の考え、推理、思いこみ(事実関係としての情報と、書き手の考えを切り分けることはきわめて重要。その意味で、切り分けて書いている人は優れた情報提供者と言える)
メディアやサイトで得られた情報を常に「朝日新聞いわく、云々」「産経新聞いわく、云々」「フジテレビいわく、云々」「きっこの日記いわく、云々」「論談いわく、云々」というふうに認識し、内容が事実かどうかわからない=保留状態にすることができれば、情報に振り回されることはなくなってくるはずである。
なお、ここで情報源を常につけるというのは、その情報源の名前によって判断しろと言っているのではない。「朝日だから常に正しい/間違っている」「産経だから常に正しい/間違っている」というのは、単なる「偏り」である。要するに「自分が直接見聞きした情報ではない」ということをはっきりさせるためのマーキングだ。
「私にはメディア以外の情報源がない。だから、メディアで報じられたことを信じるしかない」というようなことを言う人もいるし、何か聴いたら「えー、それホントー!?」と条件反射的に何でも信じてしまう人もいる。
何か信じるものがなければ不安だというのなら何も言わないが、自分で真偽が判定できないことを一旦保留する「余裕」があってもいいはずだ。たとえば永田議員に関する報道であれば、多くのメディアが同じ内容を伝えているのに加えて(もちろんそれだけでは記者クラブ垂れ流しの可能性があるので信じられない)、民主党のウェブサイトでも同様の内容が記載されているので、信憑性が高いと判断していいと思うが、だからといって「事実」まで格上げされるわけではない。
そして、自分自身がどのレベルの情報に基づいて語るのかを明記することは重要である。何でもかんでも確実な情報であるかのように語るきっこは論外だが、逆に「報道によれば云々」と語ること自体は悪くない。なぜなら「報道された内容を仮に正しいとして論じるならば」という保留条件を付けた上であれば、その後の議論はそれなりに意味を持つからである(報道を絶対に真実だと信じて疑わない場合は問題だが)。
まあそういうわけで、報道に基づいて論じるならば、永田議員には、情報の真偽を一旦保留し、検証するだけの余裕がなかったのではないかと思う。
たまに「ことのはで書いてあるから正しいんだろう」というような感想を見かけることがある。評価していただいたことはありがたいが、一抹の悲しさを感じるのも事実である。
「きっこの日記をはじめとするゴシップサイトはこれから増えていくでしょうか? そのとき、既存のマスメディアに取って代わるでしょうか?」
「まず、あれだけの情報を手に入れるだけの情報網を持っていて、しかも毎日5000字書くだけのネット中毒患者は、そんなにいないでしょう。実際、きっこの日記の模倣サイトが出てきていない。だから、ゴシップサイトが乱立するなんてことはありえないと思います。それから、たとえばきっこは、どうしても新聞記者やテレビの報道記者、雑誌記者からの情報がなければ成り立たないわけですよね。つまり、メディアに依存しているわけです。メディアが通常の経路で出せない情報を出しているかもしれないけれども、職業記者のおこぼれがなければ成り立たない。だから、メディアがなくなればきっこも消える(少なくともスクープは流せない)」
メディアとウェブは補完し合うものであっても、一方が一方をつぶすようなものではない。メディアを悪であるかのように言うのも極論だし、ウェブでなければ新しいジャーナリズムが作り出せないというのも極論だ(ウェブ型、あるいはWeb 2.0的なジャーナリズムというものは作り出せると思うが)。
もちろん、情報発信側の責任というものは考えられるべきである。つまり発信側のリテラシーというものも必要で、一般のサイトであればやはり「自分が事実だと確信できることだけを事実として発信する」「事実と、自分の意見は分けて書く」といったことが最低限のラインだろう。もちろん「できるだけ一次情報に当たって確認する」という人が増えれば理想的なのだが。
ただ、「サイバッチ!」のように「入った情報は真偽確認せずに垂れ流す。間違っていることがわかったら即座に訂正する」というスタンスはありだと思う。最初から「このサイトの信用度はゼロ」と宣言しているのだから、気になる人は自分で確かめ直せばいい。
発信者の表現としては、きっこの日記はまずいと思う。情報提供者から聞いた情報の真偽を確認することなく、信頼できる人から聞いたから正しいとして流している。「本当かどうかは皆さんお確かめください」という余裕がない。もっとも、きっこの個人日記で書きたいことを書いているだけ、という実態(つまりニュース報道サイトでも何でもないという実態)を理解しているならば、そこで惑わされる心配はないだろう。
だから、受け手のリテラシー、読み手になるときのリテラシーはきわめて重要である。たとえ発信者としてのリテラシーの低いサイトであっても、読み手のリテラシーが高ければ惑わされることがないからだ。
このブログでの最低限守ろうとしているルールは、最初にも書いたとおり、一次情報に当たることである。そして、当たった情報は読者にも再検証できるよう、出典をすべて書くことである。自分自身の考えと、誰かの意見や考えに影響を受けた部分は分けて書く。誰かの文章を翻訳して紹介したけれども、それは自分の意見ではないというときは、その旨明記する(訳したのだから賛同しているのだろう、という頭の悪い議論には関わらない)。自分の意見に合うから他のサイトを紹介するのか、反対だから紹介するのか、それともニュートラルな立場で紹介するのかはきちんと明記する。以上のことが満たせない場合は、情報の信憑性について疑われることを覚悟する。
要するに、「自分はこれこれこういう資料をもとにこう考えました。違うと思う人は、同じ資料とか見た上で意見を言ってくれればいいと思います。その資料とか見ずに部分的な感想を述べられても、ああそうですかとしか答えようがありません」ということだ。
ちなみに、ここで述べたリテラシーについての話は、特に何も参照せずに、自分の経験からまとめたものである。

 

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